
こっそりみてみて

昭和の千林へいらっしゃい

千林商店街の中にある鳥山商店の三代目の鳥山和輝(かずてる)さんは、
何世代にもわたってこの地に住み商いをされてきました。
お祖父様から聞いた話やご自身の記憶をたどり、私たちもタイムスリップさせていただきました。
手元に昭和8年の千林かいわいの地図がある。

▲中央の横に伸びている道が千林商店街
地図には鳥山さんを取りあげてくれた『産婆の田中さん』の名前も。
鳥山さんの隣は『高島屋さん』。1銭10銭の店←今で言う100均的なお店。
向かいの『山口銀行』はのちに三十四銀行と鴻池銀行と合併し三和銀行となりました。
大昔は湿地帯だった土地。
スマイル千林(千林商店街のドコモとAUショップ)あたりは竹やぶだった。
水路に囲まれ、商店が並ぶ本通りは道幅3メートル(現在は6メートル)
そこを明治時代から京阪電車が通る。

▲左側に走っているのが、昔の線路。
◆水路と電車が人と物を流通させ、このかいわいが発展した。
舟で天満市場に届いた果物などの物品が貨物列車で運ばれて、千林駅や森小路駅におろされた。
よーく見ると水路は商店街にも流れていた‼

▲水色の部分が昔水路だったところ
水路はTSUTAYAの前の通りのずっとむこうから流れて高架をくぐり、
『吉田たばこ店』の前を通り、喫茶『再会』の通りに流れ込む。
昔はホタルが飛んでいたそうで、さぞかしキレイな水だったんでしょうね。
古市村からお百姓さんたちも、舟で蒲生の畑に行っていたそうです。
京阪電車は一両のみでドアなし。
ドアのかわりにチェーンがかかっていたそうです。
京街道の七曲り(ななまがり)と呼ばれる曲がりくねった道では乗客が振り落とされることもあったそうですよ!スリルいっぱい!
ちなみに切符は山下文具さんで販売されていました。
*七曲りとは、大阪城へ攻め込もうとする敵への防備のために作った曲がりくねった道。関目の交差点近辺にあります。

◆さて、鳥山さんは子どものころどんなところて遊んでいたのでしょうか。
◇現在の呉服『桔梗屋さん』にあった模型屋さん
◇朝日地蔵の横を流れる水路の段差で滝になっているところ
◇その滝のそばの文具屋さん
◇荻田さんの巨大石(今もあります!)
◇『力餅』のとなりにあった『いづもや』の鰻
◇正金(しょうきん)百貨店*月賦の始まり
どうですか?
わくわくするような景色ですね!
平成キッズにも体験させてあげたいなぁ
◆この頃、本通りに商店街の形態はなく、『東栄会』という名称でした。
やがて日本は戦争に突入していきます。

鳥山さんのお父様は出征され朝鮮で病に倒れ、ニューギニアで戦死されました。
駅前は焼夷弾による火災を防ぐため多くの家や店が取り壊されました。
鳥山家も取り壊しの予定でしたが、運よく免れたそうです。
終戦前後、千林駅に電車は止まらなかったそうです。
滝井は止まるんか~いと思わずつっこみたくなりますね。
やがて終戦を迎え高値で売っている闇市の商品を経済警察が没収し、
法定価格で売らせるということが一般的に行われていました。
ショバ代も払わされていたそうですよ!
誰が儲けていたのでしょうね…
そして昭和21年頃、本通りは『千林森小路商店街』という名称になりました。
アーケードはなく、向かい合った店と店の軒先に日除けが掛けられていました。
雨水が溜まってしまう為、雨が降れば日除けを取らなければなりませんでした。
戦後日本がすごい勢いで復興していったように、ここ千林かいわいも千林商店街を中心にすごい時代を作っていったのです。
◆昭和31年にはダイエーの前身である『主婦の店 ダイエー薬局(ダイエー一号店)』が駅前に進出しました。
当時ではめずらしい値引きの店は商店街にとっては不安な存在だったようです。

▲右の角にあるお店がダイエー一号店
しかしその後、ニチイ、イズミヤ、長崎屋などの大型チェーン店が次々と進出しましたが、見事に競合し高度成長期からバブル期を共々に発展したのです。
すべてを受け入れた千林商店街の懐の深さには本当に感嘆を覚えます。
そして現在、すべての大型店は撤退し、千林ブランドが勝ち残ったのです!

◆千林商店街は色々なアイデアで集客やお客さんへのサービスを行ってきました。
ここで鳥山さんの心に残った催しを発表!
①抽選会

抽選会の度にいろんなテーマがあり、装飾も毎回違っておもしろい!
♡商品は自動車2台

まさかの自動車!三等のミニカーが可愛らしいですね。
♡古市小学校講堂で抽選会

今では考えられないくらい大掛かりな催しですね!
②様々なイベント・パレード
♡第一回阿波おどり

♡花魁道中

すごい人!こんな近くで花魁を見れるなんてすごいイベントですね。
♡リオのカーニバル

すごく楽しそう!
♡ミスコン

ニチイの屋上でのミスコン。
どなたが一位だったんでしょうか!
♡商店主たちによる、仮装パレード

大阪城築城400年記念パレードで商店主が甲冑を身につけ商店街を練り歩くというもの。
☆その他にも
*軽トラに櫓を組んで盆踊り

こちらもすごい列!すごい長さだったと聞きましたが踊るのも大変ですね。

*だんじり祭~終戦から昭和30年まで
縄の長さは『ピコうめもとさん』から『コポさん』まであったそうです。
商店街事務所は、かつて〝だんじり会館〟の名称で、だんじり保管場所だったそうです。
*千林公園での千林戎
大宮神社ができるまで行われていた
すごい情熱とパワーですね‼
◆千林商店街、年末は夜中まで営業していました。
30日は商品を片付ける時間もなく、店を閉めずヨシヅを立てて寝ていたそうです。
商店街を横切ることは不可能に等しく、千林駅を降りた乗客の波と駅に向かう乗客の波で身動きがとれない状態でした。
◆時は流れて平成29年。今も昔からずっと変わらないものを鳥山さんに教えてもらいました。
♡千林駅(場所は変わりましたが。)
♡鳥山商店
♡地元の人との近所づきあい
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そんな千林の昭和写真をたくさん見ることができる千林昭和写真展は、
2月8日(水)~12日(日)まで千林ふれあい館にて開催されます!
詳細はこちら→ https://1000ppj.jp/talksalon/syouwasyasin
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鳥山さん、楽しい昭和のお話ありがとうございました!


▲鳥山商店三代目 鳥山和輝さん(80歳) 右は、昭和初期の頃のお写真。